湾岸戦争と環境破壊  青山貞一(環境総合研究所)
岩波書店《世界》臨時増刊 1992年12月号第576号

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 米ソを基軸とした冷戦構造が終結し、地球環境の保全が全世界的に叫ばれているさなか勃発した湾岸戦争は、類例のない環境破壊をもたらすことになった。

 湾岸戦争による環境破壊は、大別するとペルシャ湾に流出した原油による海洋生態系の破壊と都合600本以上に及んだ油井の炎上による大気や土壌の汚染に分けられる。さらに、原因からみると、原油の流出、油井の炎上など「油」による環境破壊と、空爆や地上戦など「戦争行為」による環境汚染に分けられる。

 1991年1月17日、多国籍軍によるイラクの首都バクダッドへの空爆によって湾岸戦争は始まった。2月24日地上戦に突入し、その数日後に終戦を迎えるといったように、戦争の継続時間は比較的短期間であったが、「世界の火薬庫」、埋蔵量で世界第3位のクウェートが戦争の舞台となっていたこともあり、「油」が戦略だけでなく戦術上の重要なポイントとなった。

 多国籍軍の戦闘機によるイラク爆撃は、戦闘開始から終了時点まで空爆回数で約11万回、爆薬の重量で8万8千tにも及んだ。これに応酬する地対空ミサイルは迎撃戦闘機を含め戦争行為そのものが環境に与える影響も看過できないものとなった。対流圏を飛ぶ戦闘機から排出される排ガスのオゾン層への影響も避けられない。これら戦闘行為の影響を、窒素酸化物大気汚染に換算すると、中東の砂漠に惚然と東京が出現したのと同じ量となり、消費されるエネルギーもかなりのものとなる。

 一方、1月23日から24日にかけペルシャ湾に流出した原油は、年間を通じて卓越する北西の風によって2月1日にカフジ沖、2月7日にサファニア沖へとサウジ沿岸を漂流し、2月下旬にはあお海がめの産卵地で知られるアブ・アリ島に到着した。さらに、3月上旬にはジュベール沖に南下し、3月下旬にはジュゴンの生息地、カタール沖まで達した。

 当初シーアイランド沖から流れ出たとされる原油の量は、24日の時点で300万バーレル、28日時点で600万、30日時点で1100万と、サウジ政府から発表された。その後、アメリカ沿岸警備隊、国連環境計画が航空機等を使って海面調査した結果、流出量はおよそ300万バーレルであるとされた。しかし、流出量、流出位置、開始時期は、いずれも今に至るまで不明な点が多い。一度に流出した規模としては過去最高であることには違いがない。

 ペルシャ湾は世界でも最大級の閉鎖性水域であり、平均水深も30から50mと浅いことから沿岸域の陸海生態系への影響は著しいものとなった。その結果、プランクトンなどの微生物、魚貝類、エビなどの海洋生物・海産物、海鵜などの鳥類に大きな打撃を与えることになった。たとえば鳥類は水面と間違え飛来し重油の粘性で飛び立てなくなる。さらに揮発性物質の毒性によって中毒するなどによって被害を受けた。実際、世界野生生物基金(WWF)、日本の山科鳥類研究所などが戦後に実施した現地調査からも膨大な数の鳥類が死んだり傷ついたことが報告されている。とくに原油にまみれた海鵜の姿が、英国ITNテレビ局から衛星を通じて世界中に送られ、ひとびとに大きな衝撃を与えたことは生々しい。

他方、2月24日の地上戦突入前後からはじまったクウェート領内の油井炎上は3月上旬600箇所を超えた。最終的な炎上規模はクウェート国営石油公社が鎮火時点で発表した数字、すなわち全部で735ヶ所のうち約650が炎上した、という数が最も信頼できる。それらの炎上油井から排出される汚染の量を日本全体の排出量と比較すると、1日単位でいおう酸化物(SO2)は約29倍、窒素酸化物(NOX)は約1.5倍となる。また温室効果物質である二酸化炭素(CO2)は炭素換算で1日約3万トン排出された。これは日本全体の1日排出量に匹敵する。なかでも、SO2の排出量は膨大であり、ジェット気流に乗ったちりは、西アジア、インド、東南アジアさらにハワイ上空まで達した。

 地球規模の影響とは別に、大気汚染は炎上地域であるクウェートにおいて、人体に危険なほどの高濃度をもたらした。環境総合研究所(ERI)が4月に行った現地調査によれば、15日から24日のクウェート市のSO2平均濃度値は、0.282ppm、ブルガン油井近くのアハマディでは0.286ppmであった。測定期間中の最高濃度は、南風が卓越した16日のクウェート市で0.627ppm、健康を考慮した日本の環境基準(0.04ppm)の15倍にもなり、現地住民の健康が危ぶまれた。実際、ERIが行った現地病院へのヒヤリング調査でも医師は気管支ぜんそくなど呼吸器系の疾患が炎上一か月後から急増したと話している。

 また、6月上旬にERIが実施したアラブ首長国連邦での現地環境調査では、炎上地から1000km以上離れたドバイでSO2は基準値の倍近くを記録している。

 炎上油井は、大気汚染物質とは別に膨大な量のエアロゾル(ちり)や黒鉛も排出した。ちりが地上から10km以上の大気の層である成層圏まで達するといわゆる「核の冬」現象が生じ北半球全体が寒冷化することになる。結果的にみて、成層圏にはちりは達しなかったようだが、クウェート、サウジ北部、イラン南西部ではちりや黒鉛が直接太陽光線を遮ったことから日中でも暗いだけでなく、気温もクウェート市で最高18℃も低下するなどパラソル効果による局地的な寒冷化が起こった。

 さらに、炎上油井から膨大な量の有害重金属が放出され、そのなかには発ガン性のある物質も含まれていることから、人間はもとよりひつじやラクダなど砂漠に住むほ乳類に対し深刻な影響を与えた。夏以降も油田周辺では、油井から吹き出す原油によりプールがいくつもでき、原油が砂地に浸透するなどによって砂漠に残されたわずかな生物も死滅していったことが報告されている。

 炎上油井は、当初、少なくとも1年半は燃え続くと予測されていた。しかし、レッドアデアなどアメリカとカナダの鎮火チーム及び途中から参加した中国、東欧、フィリピンのチームが懸命に活動に勤めた結果、1991年11月6日に鎮火した。 以上、湾岸戦争は、「戦争こそが最大の環境破壊である」ことをはからずも世界中に立証したといってよいだろう。

このトピックはEnviro-News from Junko Edahiro No. 561 (2001.09.21)から転載させていただきました。

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