クリスマスカード・プロジェクト体験記 by 遠藤 優子さん

2006年12月4日PM、カードを青ぽち・赤ぽちに詰め、いよいよクリスマス島に出発。ぽち達がパンパンに膨らむほど、詰め込まれたカードは総重量30kg。皆様の思いを含めたら・・・その重さがずっしりと腕にかかる。

急遽、同行することになった兄と成田で合流しチェックインをすませる。もちろん、いつも一緒のぽち達は手荷物で機内へ持って行く。成田空港の出発ロビーには天井まで届くのではないかと思うほど大きなツリーがあった。

「もうクリスマスなんだ!」 私は、思わず叫んでしまった。 

自分が運んでいるのは紛れもなくクリスマスカード。しかし、夏から準備を進めていたため、完全にクリスマス気分はどこかへ行ってしまっていた。


いよいよホノルル行きの飛行機に搭乗する。
クリスマス島へは、もちろん直行便はない。ハワイ経由とフィジー経由の2通りの方法がある。どちら経由でも、クリスマス島に行くには週一回のチャンスしかない。私たちはホノルル郵便局との調整のため、ハワイ経由でクリスマス島に向かった。搭乗直前にも手荷物検査が行われた。もちろん、ぽち達も中まで検査を受けた。
「これはなんですか!?」「お手紙です。」・・・・
無事に検査を終え、ぽち達と飛行機に乗り込んだ。

約7時間ほどでホノルルに到着した。日付変更線を越え、12月4日のAMに時計は逆戻り。この時期は、ホノルルマラソンの時期と重なっているため、とても日本人で賑わっている。行ったことのある方はご存じだと思うが、発着デッキには日本発着の飛行機がずらーっと並んでいる。ほんとに海外??と疑ってしまうほどホノルル空港は日本人ばかり。「寒くないから、やっぱりハワイだな。においが違うもんな。」ぼやきながら、ぽち達と一緒に、ホテルに向かう。

 ホノルルもクリスマスツリーやイルミネーションでとても街は賑やかだった。明日はいよいよクリスマス島。
カードを無事にクリスマス島に投函できるよう、願うばかり。

2006年12月5日AM9:00 ホノルル空港へ。

ホノルル空港もすっかりクリスマスムードだ。12:00発のエアパシフィックFJ823に乗っていよいよクリスマス島へ。飛行時間は約3時間。あっという間にクリスマス島に到着する。機内は外国人ばかり・・当たり前だが、やっとクリスマス島に行く実感がわいてきた。

「クリスマス島ってどんなところ?大丈夫かなぁ?」期待と不安で何度も聞いた質問を繰り返す。そして何度も聞いた答えが返ってくる。「なーんにもないよ。でも凄いところだ。」

以前、南の島のスペシャリストから聞いたクリスマス島の話が思い出される。「あの島で釣りをしたら面白いぞ! ホテルのビーチで釣りしても、大きな波を真横に切り裂くように、大きな魚が横切るんだ!」「いろいろ南の島で仕事をしたけど、あの島は別格だ。ダイナミックでおもしろい。」「イルカやカメが沢山いるし、マンタなんて背中を歩いて向こう岸に渡れるんじゃないかって言うくらい集まるんだ。」

どこまでが本当なのか解らない話を思い出し、更に期待が膨らんだ。

約2時間半後、飛行機は徐々に高度を下げはじめる。
そして私は、窓にかじりつく。。

数分後、青い海にポッカリと浮かぶ平べったい島が見えて来た。

「うわぁ、何にもない。」これが初めてクリスマス島を目にした時の私の第一印象。山も無ければ、川も無い、ビルも無ければ、家もない。丘や背の高い植物すら見あたらない。あるのは広い土地に、まばらに生えた植物、その中をまっすぐ横切る道。しばらく見入っていると、何とも不思議な景色が目にとまった。平べったい土地の真ん中に、赤や青・黄色に見える大きな湖が沢山ある。生息するプランクトンの仕業だろうか。。もちろん生まれてこの方数十年、初めて目にする光景で、とても興奮した。




12月6日のPM3:00 クリスマス島に到着。

またまた日付変更線を越え、あっという間のフライトでも時計は1日進んだ。

着陸後、飛行機の中から小さな白い建物見えた。小屋と見間違えるほどの小さな建物、それは立派なクリスマス島国際空港だった。飛行機から降りると、赤道直下の太陽が歓迎してくれた。明らかに、太陽から届くパワーが違うのだ。記念写真もそこそこに日陰に避難。入国審査待ちの列に並ぶ。

しばらく待っていると、なにやら熱い視線を感じた。入国審査官の女性が私たちを睨み付けているではないか。そして、その入国審査官は隣に座っている入国審査官の男性になにやら耳打ちしている。私は嫌なことを思い出した。そう、去年の撮影税不当請求事件であるそして、私の嫌な予感は当たった。審査官は「写真撮りに来たんだから、金を払え。」と言ってきた。女性審査官の眼光はとても鋭く、威圧的だった。私たちのカメラは小さなデジカメのみ、こんなカメラならみんな持っている。何故私たちだけ請求されるのか?私たちは反論した。

「あんた達の後をついて行ってやる。写真を撮る姿を見かけたら、次は入国させないからね。」

きょ・脅迫??今回はパスポートを取り上げられることは無かったが、とても日本では考えられない出来事だ。とても嫌な気分にさせられた。(後日聞いた話だが、この入国審査官は島でも有名な問題児だそうだ。)そんなハプニングも乗り越え、ぽちと私たちは無事にクリスマス島に入国できた。入国審査を終えると、空港には沢山の人が迎えに来ていた。みんな笑顔で温かく迎えてくれた。とても陽気でみんなとても話し好きだ。


ひとしきり話をした後、宿の女将・アグネスさんの車で宿にむかう。宿は空港から車で約40分のロンドンと言う街にある。ロンドンはクリスマス島で一番の街である。

車窓から見えるのは、まばらに植えられた椰子の木と背の低い植物ばかり。山や丘が無い為、遠くの椰子まで見渡せる。その風景が島の大きさを強調する。この島にはもともと、椰子の木は無かったそうだ。どこからか海を渡り植樹されたらしい。

しばらく走っていると、地上10メートルほどの鉄塔に大きなタンクが設置されているのが見えた。水の供給タンクである。珊瑚でできているこの島の水の供給源は※ウォーターレンズと雨水である。※雨水が地下に浸透し、地下に浸透している海水部分との比重の差により真水がレンズ状に溜まる。地下に浸透しているウォーターレンズは、くみ上げ、地上10メートルの高さに設置してあるタンクにためる、そして落差によって各家庭に分配するそうだ。

ロンドンに近づくにつれ、人の姿や民家が見えてきた。どこからともなく、自炊のにおいが漂ってくる。薪を燃すようなにおい。このにおいをかぐと、さらに南の島に来た実感がわく。

アグネスの車は、急に減速し大きな減速帯を「よっこいしょ」と乗り越えた。ロンドンの入り口である。道の両脇には民家が立ち並び、小さなマーケットもある。マーケットには少ないながら、品物が並んでいる。ハワイやフィジーから輸入されているらしい。

そして、やっと宿に着いた。宿のオーナーのエリが笑顔で迎えてくれた。エリさんはアグネスのご主人で普段は電話局で働いているそうだ。宿は3部屋のみの小さな宿だったが、とてもきれいに整備されていた。部屋にはきれいな花が飾ってあり、ベッドの上にはプルメリアの花が可愛らしく置いてあった。


荷物を置いた私たちは、早速、散策に出かけた。すれ違う島民に挨拶は欠かせない。「マウリ!」と声をかけると、どんな怖い顔をしたおじさんでも笑顔で「マウリ!」と返ってくる。笑顔を見せれば、笑顔が返ってくる。 子供達は、笑顔で手を振ってくれる。歩いていると、どこからともなく笑い声が聞こえてくる。大人も大きな口を開けて大笑いをしている。日本人が忘れかけていることばかりだ。

こんな南の島の日常の風景を見ていると、とても癒される反面、複雑な気持ちになる。日本人は幸せなのかな? 「腹を抱えて笑う。」なんてどんな事なのか忘れてしまった人も多いのでは無いだろうか?挨拶は基本!そう教えられた当たり前のことが、いつからかできない世の中なった。挨拶の気持ちよさや笑顔の大切さを再確認できる、この島の習慣がとても有り難く感じる。

私たちは、まず郵便局の下見に行く。宿から歩いて3分、平屋の長屋の一角が郵便局だった。こんな小さな郵便局から世界にカードが届くのは、とても不思議な気がした。郵便局から海に向かって歩いていると、「INTARNET CAFE」と大きく書いた看板が見える。こんな何にも無い島でも、インターネットはつながっているそうだ。改めて関心。

更に歩いていくときれいに整備された港があり、建てられたばかりの魚加工工場があった。入り口には数人の島民が作業していた。近づいて見てみると、その光景に少しひるんでしまった。とってきたばかりのナマコから、一つずつ内蔵を取り出しているところだった。二人の男の人が手際の良く作業していた。ナマコは乾燥して輸出しているそうだ。

隣で作業していた男性が「写真を撮ってくれ。」と声をかけてきた。こちらは、大量の伊勢エビを洗っているところ。伊勢エビが山積みになっているではないか。彼は、伊勢エビをつかみ得意げにポーズする。クリスマス島でも、伊勢エビは買うと高価なものなのだそうだ。工場の中では、色とりどりの魚を分別していた。赤や青や黄色、地味な色の魚はいない。とても美味しそうには見えない。

 工場を出て、路地を入るとさらに民家が建ち並ぶ。民家のほとんどは高床式で、屋根はパンダナスの葉をきれいに重ねて作ったものだ。ハンモックで昼寝をする人、楽しそうに立ち話をしている人。どこを見ても、穏やかに時間が流れていた。

夕食を待つ間、近くの海岸へ釣りに出かける。大きな波が打ち寄せる砂浜では、子どもたちが遊んでいた。大きな穴を掘って基地を作った様だ。貝殻をスイッチに見立て、ハンドルは流木。海岸にはゴツゴツの珊瑚が沢山転がっているのに、裸足で走り回っている。とても微笑ましい光景だ。

沖の方へ大きな網を持った2人の若者が泳いでいく。漁を始めたようだ。 ごま粒位にしか見えなくなった彼らは、波の荒い海で暗くなるまで漁を続けていた。なんと、たくましい姿だろう。

地平線に日が沈み、辺りは真っ暗になっていた。街灯のないクリスマス島の道は、本当に真っ暗になる。民家から溢れてくるかすかな明かりを頼りに、宿に向かう。

宿に帰ると、とても良いにおいが立ちこめていた。エリが腕によりをかけ豪華な夕飯を作ってくれた。島では農作物はほとんど取れないが、輸入品でまかなわれているため、お米や玉ねぎコーンやオレンジジュースなどなど、日本で食べているようなものは揃っていた。そのためえ、食でストレスが溜まるようなことはなかった。

お腹いっぱいになると、時差ぼけの為か8時頃にはすでに眠たくなる。クリスマス島は、とても暑いところだが風も吹く。窓から入ってくる心地よい風と椰子の葉が揺れる音で、とても安眠できた。


2006年12月7日 押印作業スタート。

今日も朝から、クリスマス島は暑い。まずは『一番美しい消印の押し方とは。』押印レクチャーから始まった。スタンプが切手に掛かりすぎてもダメ、だからといってギリギリすぎると空振りする。かわいい切手とかわいい消印、両方を引き立てるようにとのこと。繰り返し練習し、そして自分の書いたカードから始めた。さすがに緊張する。 スタンプをきれいに押すには結構力が必要だ。 切手一枚の厚さでも侮れないのだ。少しでも力を抜くと消印が欠けてしまう。作業を始めてすぐ、額には汗が。そして力一杯スタンプを押す手は震えてくる。しかし、一つ一つのカードに感謝と無事に配達されるように、温暖化への気づきの輪が広がるようにと願いながら消印を押す。

一枚一枚のカードの宛先を確認し国別に分別する。机一面に並べられたカードを集計し、最後に消印チェック。「全てのカードが無事に届きますように。」祈りながら、投函のために再びぽちに詰める。そして、一日かけて押印作業と仕分け作業が終了した。

例年は雨の少ないクリスマス島だが、今回はエルニーニョの影響かとても雨が良く降った。夜寝ていると、雨の降る音で何度か起こされた。雨はスコールのように勢いよく降り、椰子の葉に雨があたるとザァーという音がする。風で揺られる音は、まるで小さな嵐のようだった。そして一気に地面は水たまりだらけになる。

外に干していた洗濯物も、雨の度にびしょ濡れになる。しかし、さすが赤道直下の島。まるで雨など降らなかったかのように、朝にはカラッと乾いていた。


2006年12月8日 2つのパーティーに招待された。

夕刻、まず1つ目のパーティーに出席する。テレコムの携帯開通記念パーティーだった。クリスマス島でも携帯電話が使えるようになったそうだ。 その記念すべき歴史的な日だったのだ。キリバスの首都の島からも来賓が数名来ていた。和やかなムードで式典が開催され、みんなで持ち寄った料理がズラッと並べられた。焼き豚や、カレー風味の煮物、カレーヌードル、ココナッツ風味のお刺身、ブレッドフルーツのフライなどなど。私はこのフライが大好きだ。ブレッドフルーツを薄く切り、油で揚げる、少し塩を振って食べる。ポテトチップスの味によく似ている。

お腹いっぱい料理を頂き、さらに2つ目のパーティーへ。このパーティーは、1歳の誕生日パーティーだった。この島では、赤ちゃんが誕生したときではなく、1歳を迎えたときに盛大にお祝いをする。南の島では同じような習慣があるそうだ。一歳になるまで名前も付けないところもあるらしい。昔は子供が生まれても生存率が低く、一歳までに亡くなってしまう事が多かった。一歳は大きな節目で、子供の生存を祝うという意味で盛大な会を開くそうだ。

誕生パーティーの会場は少し離れたところにある大きな集会場だ。アグネスは言う「この集会場は良くないのよ。屋根が伝統的な形じゃないの。だから、これをつくった人はすぐ死んじゃったのよ。」確かに、他の集会場の屋根とは少し違う。違うと行ってもほんの少し屋根の出っ張りが違うだけだ。私から見れば、そんなに違いを感じるほどではなかった。クリスマス島の人たちは、とても伝統やしきたりを大切にしている。自然の中で暮らし、大自然の力をよく知っているからだろうか。

私たちが会場に到着したときは、すでにパーティー開始予定時間から1時間程過ぎていた。しかしパーティーが始まる様子もなく、集まった人はまばら。きれいに飾り付けられた会場は、ガラーンとしていた。これぞクリスマスタイム!と言い聞かせ、しばらく・・いや随分待った。しかし、パーティーが始まる気配が全くないまま、待つこと2時間。さすがにクリスマスタイムに慣れてきた私たちも、10時をまわったところでギブアップ。
睡魔に勝てず、退散した。

アグネスの話によると、結局この日のパーティーは深夜12時をまわったそうだ。恐るべし、クリスマスタイム。


2006年12日9日 塩田の視察へ。

クリスマス島には日本の援助で造られた塩田があり、そこで造られた塩は日本に輸出されている。塩田の視察は、以前から希望していた事だった。

塩田は、ロンドンから車で3時間位のところにある。トラックを借りて出かける事にした。お借りしたトラックは日本から来たものだった。会社名・住所・電話番号までしっかり書いていた。このようなトラックは世界の至る所で見かける。まだまだ充分乗れるトラックが、何故こんなところまで??クリスマス島にたどり着いた経緯が気になるところだ。

朝早くアグネスが用意してくれたサンドイッチと水筒を持ってトラックに乗り込む。ロンドンを出て、1つ2つ集落を抜けていく。やがて舗装された道路は、車一台が通れる幅に狭まり、家も何もなくなる。背の低い植物と、空には鳥が見えるばかりだ。

すれ違う車も人もいなくなる。目印になるものも無ければ、道路標識なんてもちろん無い。塩田までの道のりは、遠藤の記憶に頼るしかない。まっすぐな道に、所々ある脇道。その脇道のどれかを曲がれらなければ、塩田にはたどり着けない。遠い記憶をたどりながら、脇道に入る。ここからは、舗装されていない道路が延々続く。
脇道には植物が覆い茂り、昨日降った雨で道路は水たまりになっている。水たまりを避けながら走っていると、なにやら水中から黒い影が逃げていく。正体はカニだ。カニが車に驚いて走って逃げているのだった。中にはハサミを振りかざし立ち向かって来るものもいる。

なんと迷惑なことに、彼らは道路に巣穴を掘っているのだ。(カニから見ると、私たちは侵入者だが。)カニの巣穴は結構大きく、巣穴の上を車が通ると重みで道路が陥没し、大きな穴があいてしまう。そうしてできた穴で、道路はとても荒れていた。

そして車に揺さぶられ走ること2時間。ようやく塩田に到着した。クリスマス島では完全天日式で塩が作られているそうだ。海水から太陽光により水分を蒸発させ、塩の結晶を採取している。

20m平方ほどの大きな塩田がいくつか並んでおり、一つ一つに塩田にはきれいな水が溜まっていた。底の方は膜を張ったように白い結晶ができていた。おそらく、昨日降った雨が塩の結晶の上に溜まってしまったのだろう。大きな塩田の隣にはいくつもトレーが並べられており、すっかり水分が蒸発しきれいな塩の結晶ができていた。このトレーは、大きな塩田では塩がとれなくなってしまった為の苦肉の策らしい。最近の異常気象により、クリスマス島も雨が増え、大きな塩田では塩が結晶になる前に雨が降り、塩がとれなくなってしまったそうだ。
小さなトレーであれば、雨が降ったらフタをすることができる。そして、完全天日干しの方法は変わらない。

実際、滞在中もエルニーニョの為かとてもよく雨が降った。異常気象や環境破壊の問題は至る所に押し寄せている、実感せずにはいられない

トレーの中の塩を一欠片分けていただき、早速味見してみる。とてもしょっぱい。そして、とても味が濃くしっかりしている。食塩とは全く違う風味がある。クリスマス島の海水は世界でもミネラルを多く含んでいるそうだ。毎日何げなく使っている調味料でも、一つに注目してみると明らかな違いに気づく。とても面白い。最近、メディアでは良く食の安全が取りあげられるようになった。無農薬、無添加、有機野菜、こだわりの○○などなど、情報はたくさん耳に入ってくる。

私も、家族を持ち日々食事を作る立場になって、食の安全というものを考える様になった。直接口に入り、体に取り込まれる。一家の食生活を預かるということは、なかなか責任の大きいことだ。一応・・・栄養の面も考えて調理するが、野菜が農薬漬けだったり、添加物がてんこ盛りとか、そんな食事を口にした家族の健康に何かあったら、後悔しようもないことだ。

ひょっとしたら後々に大きな病を引き起こすかもしれない。今まで人類が体内に取り入れてなかったもの(食品添加物・化学調味料など)を長期にわたって摂取し続けたら、どのように人体に影響がでるのか。一生の間に口にする野菜に使用されている農薬はどれくらいの量なのか。摂取する添加物の量はどのくらいなのか。適量以下なら安全なのか?想像したら怖いことだらけだ。

私は、買い物に行き品物をとるとまず食品の表示を確認するようにしている。なるべく添加物の無いものを買うためと産地を確認するために。多くの商品には添加物がずらーっと表示されてある。何も気にしなかったらこんなにも添加物を口にしてたのかと驚くほどだ。 ひょっとしたら影響がないかもしれないし、なにが良いのかも判らないが、信じて続けていこうと思う。 

今回、道路の状況も悪かったが、塩田の視察を実行した。毎日何気なく口にしているものが、どのようにできているのかこの目で確かめたからだ。塩の製造工程を見てさすが完全天日干し!と感心しつつ、昔の人の知恵に感謝し岐路に立つ。

帰り道は少し寄り道をした。面白い風景があれば立ち寄り、写真を撮ってまわった。

 赤い湖。引き潮で浮き上がってきた道路。潮に取り残された魚たち。植物の根元に群がるヤドカリ。真っ白なカニの死骸。おそらく植樹されたであろう椰子の木は、規則的に並びながらも枯れた葉が次々に垂れ下がり、まるで私達の進入を妨げているかのように立ちはだかっている。進入を拒むのは鳥たちも一緒だった。車が近づくと、草むらから一斉に飛び上がり、逃げるでもなく私たちの頭上を威嚇しながら旋回する。鳥類保護区域もあるため、頭上を飛ぶその数は想像を絶する数である。

 草むらは鳥たちの巣があり、子育ての場である。私たちが少し地近づくと、親鳥たちは大きな羽を広げ声を上げ威嚇して見せた。少ししゃがんで見ると、グレーのふわふわの毛玉がよちよち歩いているのが沢山見えた。

外敵もほとんど居らず、子育てにも最高の場所らしい。親と離れて遊んでいたのだろうか、数羽の雛が草むらから飛び出してきた。相当慌てたのであろう、私の足を踏んで逃げていった。雛は大変な恐怖を感じたであろうが、走り去るその後ろ姿はとても愛らしかった。

 空を飛ぶ大人の鳥達は至近距離まで近づいてくるが、攻撃してくることは無かった。私たちを上から偵察しているようだった。何かあれば一斉に攻撃されたのかもしれないが。

見るのもの全てに自然の力を感じ、パワーがある様に思えた。

そして、帰りの道中、私たちは自然の怖さを思い知った(大げさ!?)写真を撮ろうと停車した時だった、車が停車した場所はゴツゴツの珊瑚の欠片が堆積した場所。車から降り立ったその時に嫌な予感がした。珊瑚が堆積している割には、足下がふわふわしているのだ。車を発車させようとしたそのとき、嫌な予感は的中した。アクセルを踏むと、タイヤがのめり込んでいく。スタックしてしまったのだ。車を後ろから押し抜け出そうと試みるが、さらにのめり込んでいく。大きな珊瑚の欠片をタイヤと地面の間にはさんで見るも、効果無し。ジャッキを使用するが、逆にジャッキの方がのめり込むばかり。

周りを見渡すが、小さな植物しかなく道具となるものが見あたらない。助けを求めようにも携帯電話もない。通りかかる人なんて滅多にいない。近くの村までは歩いて行くと何時間かかるのか想像もつかない。言いようもない不安にかられた。

私は、頭の中で水と食料の確認をした「水筒の水が2本とサンドイッチの残りが少しある。。。」川もないため、水筒の水がつきれば飲み水が無くなり脱水を起こしてしまうかもしれない。赤道直下の太陽は容赦なく照りつけるのだ。

とにかく何か道具になるもの探さなければと、植物の足下を探った。見つかったのは、流木1本と半分に割れた古いココナッツの実が2つだけだった。流木はタイヤの下に珊瑚の欠片を滑り込ませるために、ココナッツは穴を掘りジャッキの土台として使った。埋もれてしまったタイヤをココナッツで掘るが、驚いたことに、掘っても掘っても珊瑚の欠片か貝殻しか出てこない。さすが珊瑚礁の島だ。地を固めようと思っても土が無いため固めることができないのだ。いろんな思いが頭を過ぎった。

格闘すること1時間。炎天下の下で肌がヒリヒリしている。押す人、運転する人に別れ4度目のトライだった。

「いっせーの!!」ジャリジャリジャリジャリ・・

タイヤのすれる音と同時に、向け出すことが出来た。大急ぎで安全と思われる所まで車を走らせる。

そして、大急ぎで車に乗り再度出発しようとしたとき、「ザザザザザーっ」再びスタックしてしまったのだ。避難したはずの場所は一見堅そうに見えたのだが、違ったようだ。もうここから抜け出せないかもしれない。そんなマイナスの考えもよぎったりした。慎重に足下の堅い経路を探し、作戦を練った。「今度こそ、一気に安全地帯まで走ろう。」そう3人で気合いを入れ脱出を試みる。車は動き出し、一気に植物の覆い茂った道を抜け、跳ねながら走った。こうしてやっと無事生還できた。


大げさに思えるかもしれないが、普段から文明の力に頼って生きている私にとっては、自然の怖さと、自分の無力さを思い知らされる出来事だった。便利なものに囲まれているうちに、そのモノが無かったらどうして良いのか判らなくなってしまっていた。自然相手に何も太刀打ちできない。便利さと引き換えに自然と生きる知恵を無くしてしまったようだ。そんな事件の後、荒れた道で島民とすれ違った。彼はバイクに乗り、自分の村に向かう途中であろうか。何時間走っても人影すら見あたらないこの道を悠々と走っている。しかも一人で。「マウリ!」真っ白な歯を見せて手を振る姿にたくましさを感じずにはいられなかった。

ロンドンに帰り、ダイブキリバスのオーナー・キムさんに会った。私たちが今日一日あったことを話さなくても、彼は何もかもお見通しだった。「あの道を行ったのか?こんな雨の後で?車がスタックして大変だっただろう(笑)」まったくその通りだった。

この島の人は、自然と共存したくましく生きているのだ。

何もない島・・・そんなことがあるものか!


2006年12月12日AM

今日はいよいよ郵便局にカードを投函しに行く。朝から張り切って郵便局へ向かう。しかし、郵便局はまだ開いておらず、オープンを待っている人が数人いた。しばらく待っていると、郵便局員のベレテキラがバイクに乗ってやって来た。「カード持ってきたよ!」と言うと、彼女は笑顔で大きくうなずいた。早速、郵便局の中へぽちを運び込む。専用の郵便袋にカードを移し、「TOKYO−JAPAN」と書かれたタグを付けて書類を書き手続き終了。宛先が日本以外のカードは別便でお願いする。後は、無事に届くことを祈るばかりとなった。

2006年12月13日 クリスマス島を発つ日だ。

4時30分起床。あっという間の1週間を思い起こす暇もなく、空港に向かう。5時にアグネスに送ってもらうが、辺りはまだ真っ暗だ。空港に到着した頃には、うっすらと明るくなってきた。空港には飛行機に乗る人、送る人が徐々に集まってきた。乗る人の大半は一週間前に一緒にクリスマス島に降り立った人たちばかりだ。

搭乗手続きをする。手続きはもちろん手作業。コンピューターなんて使わない。名前や国籍を紙に記入し、パスポートを確認。そして、座席を決める。座席表はシール式で、決めたらチケットにシールを貼ってくれる。クリスマスタイムにさらに輪をかけて、ゆっくりだった。

航空便受付には、郵便局からカードの入った郵便袋が届いていた。プロジェクトが無事にここまでたどり着いた安堵感と、自分の手を離れてしまったカードが、皆さんの元に無事に届くようにと祈る気持ちで一杯だった。
カードが無事に配達されるまで、この緊張は続くだろう。。

帰りは嵐のような大雨だった。飛行機の中からは、何も見えないくらいの。この1週間のいろいろな出来事に思いをはせる。きっと私はクリスマス島の感想を聞かれたら、こう答えるだろう

「なーんにもないよ。でも凄いところ!」

そして、今年のプロジェクトの終わりが近づいて・・さあ、来年は何をしよう!?




Merry Christmas from Christmas islandは温暖化による海面上昇の被害を受けている南の島々の現状を、多くの方々に知っていただきたいという目的でミュージックエイト・エコプロデュース部が制作・販売しています。売上の一部は海面上昇の被害を受けている現地政府に提供されています。

協力:クリスマス島クリーンアップ基金
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