クリスマスカード・プロジェクト体験記 by 斉藤 未佳さん

小学生の頃、授業中暇だったのでなんとなく地図帳を開いていた。そこで見つけたクリスマス島。「おや まあ なんておめでたい島の名前なんだろう!」(いいなあ。日本も別の名前にすればいいのに・・クリスマスに対抗して「正月」とか)と8歳ながらに驚いた。が、もっとビックリ22歳、その島へ出かけることになる。しかも初めての海外。これだから人生は面白い。そう思わずにはいられなかった。

昨年の万博にパビリオンのスタッフとして参加した。万博出展に向けての予行練習をとあるお店で行っていた時のこと、偶然遠藤さんの講演を聴く機会に恵まれた。講演会終了後、質問をしに行ったときに、クリスマスカードプロジェクトの話を聞いた。世界中で起こっている環境問題に興味を持ち始め、自分に何かできることはないか・・と模索中だった私はこのプロジェクトに是非参加したいと思い、二つ返事でスタッフになることを決心した。

プランツでの講演会の様子
万博、無事終了。時は経ち2005年10月。始めに、クリスマスカードを印刷している工場を案内して頂く。色の濃淡を調整する作業が大変そうだった。大きな機械から吐き出されるこのカードたち。大量のカードが目の前にあって、今後どうなって行くのだろう・・と漠然たる印象を受けた。
まもなく、地道な事務作業に入る。パソコンに慣れていなかったので、必死になって機能を覚えた。たくさんの方から参加申し込みのメールを頂いた。全ての人々の心の中に伝えたいことがある。そしてその想いを受けとる人がいる。個人的に手紙という媒体が好きだった私は、ワクワクした。こんなに大勢の方々の仲人として立ち合えるなんて☆この双方の繋がりの中で絶対生まれるものがある。はっとする夢かもしれない、ちょっとした思いやりかもしれない、ピンとくる新たな気づきかも知れない・・きっと心がポッとなる何かだ・・ 頭の中、妄想オンパレード ・・・。その1つ1つの大切なメッセージをしっかり届けたいと思った。
カードの印刷風景

完璧にやってやるぞと意気込んだが・・入力ミスが出てしまう。絶対大丈夫と思っていても抜けているところがあり、いつも通り自分の「絶対」と言う言葉の程度知る。途中風邪を引いてご迷惑をかけてしまったこともあったが、比較的作業は順調に進んだ。

送付したカードが戻ってくる。おしゃれなデコレーションを施した封筒、生気を帯びている宛名文字(単なる宛先という存在枠から食み出んばかりの勢いのある文字、個性の塊)・・・封筒1つをとってもこんなに多くのアレンジ技があるのだなと感心した。また、別途で私たちへ応援のメッセージを同封してくださる方もいた。その言葉を目にした瞬間、体内の細胞膜がフワっと解けた気がした。この場を借りてお礼の言葉を述べさせて頂きたい。『本当にありがとうございます。嬉しかったです。』


届けられた封筒1つ1つを箱詰めした。徐々にクリスマス島へ行くという実感が高まってくる。が、「クリスマス島ってこんなところかな・・・」と想像はしなかった。到着した瞬間、体に飛び込んでくる感覚全てにどっぷり身を沈めたいと思ったからだ。☆開けてビックリ玉手箱☆感覚でクリスマス島に行こうとしていた。正直、事前調査をほとんどしていなかった。出発日が近づいたある日、遠藤さんに「クリスマス島に山はあるんですか?」と質問をした。事前調査不足だと怒られた。1人のプロジェクトスタッフとして行くことを改めて自覚し、反省した。それからというもの、遠藤さんにプロジェクトへの質問をしたり、大学の先生に相談したり、ネットで調べたりと参加意識を高めていった。こうして、自分がクリスマス島へ行くことにより、何が出来るかを真剣に考えるようになっていった。

出発当日。皆さんのメッセージカードを手に、パスポートへ押された「出国」という二文字。重く圧し掛かる。初めての海外はドキドキだ。現代の飛行機でさえこんな気分になってしまうのに・・・と、大航海時代香辛料を求め、もろい船に身を委ねながら、大海原を彷徨った人々の気持ちを推し量った。
飛行機に乗り込み、いざ出発。機内でイキナリ感動した。雲平線だ。雲の海が広がっていた。白い綿状のものがおのおの好き勝手な形をとり、辺り一帯を重たい躍動感で包み込んでいる。普段頭上にあるはすのものが、目下を隙間1つ無く埋め尽くしている。この奇妙さに、ただただ圧倒されるばかりだった。
そしていつの間にかハワイに到着。当たり一面外国のもの・・外国映画にポツンと迷い込んだ気分になった。どうも実感が湧かない。ぼーーーっとしていた。そんなある時、街を歩いていると、柵に座っていた外国人女性がスッと立ち上がり、こちらへ歩いてきた。プーンとタバコの香りが漂う。とたんに目の前の景色が現実味を帯びる。よく普段鼻にしていたタバコのにおいが、意識を日常へと引き戻してくれた。五官の威力、絶大!!人間であることがこの瞬間、とても面白く感じられた。

翌日、郵便局員のブライアンさんに逢うため、ハワイの郵便局を訪れた。このプロジェクトについての説明をして、クリスマスカードを確実に日本へ届けてくれるよう、念入りにお願いをした。このあと、ブライアンさんにランチのお誘いを頂き、ご馳走になった。ブライアンさんの家族と共に楽しい時間を過ごすことができた。

そうして、最終目的地クリスマス島へ出発→到着。砂・水・ヤシの木世界だと思った。今まで飾り程度のヤシの木しか見たことがなかった。なので、衝撃的であった。膨大な数のヤシ・・・鬱蒼としている。見慣れてないが故、その姿が時々ボーーッと妖怪に見えてくる。夜なんか特に。

暇さえあれば1人島じゅうを散歩していた。また、遠藤さんに案内して頂き、役所、幼稚園、小学校、ゴミ捨て場、塩作り工場、砂漠、砂丘地帯、お墓、ディスコなども散策した。

日本で のんびりしよーー と言っても、数時間または明日まで明後日まで・・とどうしても時間的な制約が付き纏ってしまう。が、クリスマス島はそうじゃない。いつも のんびり が生活の根底に穏やかに流れている。時間的概念に全く囚われることのない、手放しののんびり感を味わうことが出来た。

そうして迎えた最終段階。クリスマスカードに消印を押す時がやってきた。何度も練習するがなかなかうまくいかない。一方遠藤さんはポンポンポンポン押している。丁寧にそして速く押さなければならない。次第に慣れてきて速さに意識を傾けた瞬間、失敗してしまう。すみませんと心を込めて誤った。何度も繰り返していくうち、徐々にペースが掴めてきた。そして無事終了。準備は万端だ。何千枚と消印を押す遠藤さんと私を見て、アグネスは「まあ機械作業みたい」と目を丸くしていた。


クリスマス島に暮らして1週間。この島において「急ぐ」という行為がどれほど無駄であるかが身に沁みた。いつもそこにあるココナッツ、そこにいる魚たち、ただ定期的に船で送られてくる輸入品、作物・・・それを目の前にして急いでどうなるというのだ。そんな必要はまるでない。

物に溢れてないが故、島の人々は単純に唄って踊って楽しみを表現する。テーナちゃんとシカちゃんいう少女たちにダンスを教えてもらった。色っぽい、、そして何より表情が豊か。一緒にいて体じゅうの細胞が楽しくなっていく。

人々の笑顔が弾ける。「マウイ」と挨拶をする瞬間。もちろん、はにかみ屋SHYボーイ&ガールはいるけれど・・その恥じらいもまた、全身から惜しみなく滲み出している。人間という1人の肉体を使い切っていた。見ていてすごく気持ちがいい。

ダンス以外にも色々な体験をさせて頂いた。まず、ココナッツトリートメント。ココナッツの実を削り、薬草と混ぜたものを髪に塗る。そして3、4時間後、海に飛び込む。そして洗い流し、最後にお風呂でシャンプーする。トリートメント後に、何かに飛び込むという威勢のいいことはしたことがなかったので、とてもいい経験となった。

また、ココナッツバーべキューもした。ココナッツの皮を剥き、それを薪の代わりにして魚を焼く。ココナッツの皮・・燃える、燃える、真っ赤に燃えて、真っ赤に燃えて、まっかっか!ココナッツが炭と同じような役割を果たすということを初めて知った。ココナッツジュースも飲んだ。まるで母を想起させるような穏やかな風味であった。とっても優しい味。ココナッツの葉でボールを作ってもらった。小学生の女の子がチョチョイのチョイで編んでいた。チョチョイのチョイで頭がこんがらがった。すごく難しい。この体験を通し、島の人々とココナッツの繋がりを生で感じることができた。日々の生活に生かしきっている。この自然と人との素直な繋がりに心が癒された。

ここでふと、日本の自然について考えた。豊かなのだ。クリスマス島の地面は砂地、作物がほとんど育たない。また、水も満足に存在しない。雨水を貯めて何とか生活している。大抵シャワーは水しか出ない、水シャワー。一方、日本は養分豊富の土に恵まれている。水資源も豊かで、しかも体にいいお湯が勝手に地面から湧き出す場所さえある。海外に出掛け、日本がいかに恵まれている土地か知らされた。帰国したら、もう一度日本の自然の素晴らしさを肌に沁みこませ、見つめ直そうと決心した。




よく考えてみると人は自然の一部だ。いつの日か海にあった水がこの体内を満たしている。植物が作り出した酸素が溶け込んでいる。そして人の排泄物は養分となり、植物のエネルギーになり循環していく。全くの事実だ。この繋がりは目には見えない。なので、普段なかなか意識されにくいかもしれないが・・・
これではいけない。心の目で見ていかなければならない。感じるのだ。
こうした繋がりに心を開くと、自然に対し思いやりが持てるようになる。思いやりを持てば、距離間がぐっと縮まり、大切にしようと心掛ける。そうして大切にするために、自ら何か行動をはじめる。
また、こうした距離の縮め方もある。例えば、1本の蛇口の向こうに海を見る。これは単なるイメージではない、(心の目で見なければならないが)ガッチリとした事実だ。日々の暮らし、私たちと海との距離感がぐっと縮まる。

ダイビングしたとしてもいい。美しい天国のような海、かわいいかわいい魚達の向こうに、蛇口を筆頭として日々の暮らしがしっかり浮き上がって見えてきたら、なんだか楽しいではないか。逆に蛇口をみたら、あの海の美しさ、魚のかわいさを思い出し、「あの美しさとかわいさへ続く蛇口」と思えばいい。水道1つなのにワクワクできる。これもまた一興。

何でも繋がっているのだ。世界は単独では存在し得ない。

様々な角度から物事を見つめ、もっともっと人生が彩りを豊かにしていったらいいと思う。きっと感じる幅が広がり、今ここに生きていることへの意味合いが深くなる。


クリスマス島一番のおみあげは、あの人々の笑顔だ。クリスマス島の人々してあげれることは何もない、そう思った。出来るとしても、日本の伝統文化を紹介して、文化交流を楽しむぐらいだ。あの国は満たされている。その国の自然と人々の心で。

物質的なモノのみに囚われることなく心の目で感じ、繋がりに心を開きたい。今ここにあるパソコンも工場で大量のCo2を排出しながら作られている。その分だけ大気中にCo2が増え、地球温暖化が進み海面が上昇、その一方、木や植物、プランクトンなどがCo2を吸収し、O2を作り続ける。そしてそれを動物たちが吸収し、Co2を排出・・・さっきのダイビングの話しも含め、もっと探せばこんな繋がり地球上に腐る程ある。いや、ここまできたらこの世にあるもの全て繋がっているのでは?!

『単独で存在するっていうものココにでて来いっっ!!』

普段気の弱い私でさえ、こんなことが胸を張って言えそうだ。繋がりを見つければ見つけるほど、世界は小さくなる。繋がるということはある意味1つであること。 とある唄にもある 世界は同じ〜♪ただひ〜と〜つ〜♪ そのものだ。自然も文明も私もみんなも何もかも1つ。世界は小さい。

極論は「周りを思いやることは私を思いやること。私を思いやることは周りを思いやること」
これは狭い狭い物質的概念からでなく、広い広い心の目で見ようとすれば見えてくる。
制限・寿命のある物質的世界ばかり見つめていないで、せっかく無限なる世界・想像の世界を皆、内に持つのだから・・・たまには、そちらへ魂を誘ってみよう。

この世には、もっともっと感じられること・面白いことがまだまだ山程眠っているはず。

何が見える?  さあ 心を澄まそう・・・

2006年1月 斉藤 未佳

※文中の写真はプロジェクト代表の遠藤が撮影しました。文章を含めて無断コピー等はご遠慮ください。


Merry Christmas from Christmas islandは温暖化による海面上昇の被害を受けている南の島々の現状を、多くの方々に知っていただきたいという目的でミュージックエイト・エコプロデュース部が制作・販売しています。売上の一部は海面上昇の被害を受けている現地政府に提供されています。

協力:クリスマス島クリーンアップ基金
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